top of page
K-STYLE

自己紹介

張原啓吾

はじめまして、張原啓吾(ハリハラけいごケイゴ)です。

1971年に鹿児島県の世界自然遺産『屋久島』で生を受けました。

当時の島には産婦人科など無かったのでお産婆さんに取り上げてもらったのですが、とても小さく生まれ黄疸もひどかったので点滴の瓶を半分に切った保育器の中でしばらく過ごしたようです(母談)。

そのせいか小学校にあがるまで、また入学後も病弱で体も小さく特に食事が苦手な子供でした。

 

そんな病弱でひ弱な私に一大転機が訪れました。

小学3年の春、『空手道』との出会いです。

 

当時、何をするにも自信がなく…声は小さい、食は細い、足は遅い…

それが1年2年と空手を続けるうちにご飯をたくさん食べられるようになり、友達もたくさん出来て、学級委員長として発表などもできるようになったのです。まるで別人になれたかのように体も丈夫になりました。

 

この時、空手の恩師との出会いが私の人生に大きな影響をもたらしました。師匠からは厳しくも楽しい稽古を通して私の人生に勇気を与える数々の言葉を頂きました。それは今でもこれからも大切な宝物です。

そして道場で出会った先輩や同級生、後輩たちとの絆です。困ったとき悩んだときにいつもそばにいてくれてたくさんの励ましをもらいました。今の自分があるのもこの仲間たちのおかげだと信じています。

 

『大人になったら空手の先生になる!』 

『たくさんの人に恩師から頂いた言葉を届ける!』

 

気が付けば44年、その間いろいろな職業を経験しましたが空手道だけはライフワークとして続けることができました。この使命を果たすため…

 

佐世保市に移住し18年が経過したわけですが、なぜ今整体の仕事をはじめたのか?古い友人からは良くからかわれます。

 

『人の壊し方や倒し方ばかり勉強してきたお前が人を癒す??』

 

お恥ずかしい話ですが、まったくその通りだと思います。

 

どうして治療家の道を歩む事になったのか…それは約5年前、私の母は『脊柱管狭窄症』を患い、痛みでまともに歩行もできない状態でした。同時に50年連れ添った父が先に他界し1日の大半をソファーの上で過ごすようになっていました。

医師の勧めで手術も考えましたが、骨粗しょう症もあり術後のリハビリ等予後も考えるとなかなか踏み切れず…やがて母は少しずつ瘦せ細り、次第に筋力の低下も目に見えるほどでした。

 

そんな時、出会ったのが『小波津式神経筋無痛療法』でした。

(詳しくお知りになりたい方はこちらをご覧ください⇒https://kohatsuseminar.com/

コロナ禍でしたが私は早速、大阪まで出向き研究会へ入門。

そして約1年の初級講習修了後~その足で母のもとへ。

 

その時は何とか母を元気にしたいという一心で習ったばかりのつたない施術を母に施し…(今思えばとても精度が低かったはずです)。母はその日のうちに立ち上がり今までの生活が嘘のようにしっか歩いてくれたのです。あの日の母の笑顔は忘れられません。

 

あれから3年が経過しましたが、母は手術もせず、元気いっぱい75歳の誕生日を迎えています。(これからも父の分まで楽しく長生きして欲しいです。)

 

令和5年4月、『スポーツ整体院K-STYLE』を開業して、おかげさまで1周年を迎えることができました。

オープンからご紹介だけ(口コミのみ)で営業して参りましたが、恩師である小波津祐一先生が世界中をかけめぐり困った方へ可能性をあきらめずに治療し続ける姿に、私自身が今一度奮起して残りの人生をかけて勉強していかなければという思いでいます。

 

あの小さくか弱かった頃の私に空手道の恩師がかけてくれた言葉を思い出しました。

 

“世界一強い男を目指せ、そしてそれは世界一優しい人間になることだ!

    人は優しくなければ生きる資格はないぞ。”

 

これからも世界一優しい人間になる為、一生をかけて修行していきます。

 

スポーツ整体院 K-STYLE 院長 張原啓吾

bottom of page